父の日に見た思い出からのinsight...

日曜日の朝、オンライン・ブレスワークのワークショップに参加して、ブリーディングをしていたとき、幼いときの家族旅行のイメージが浮かんできました。 驚いたのは、その記憶が、私がまだ一歳半くらいのときのものだったことです。自家用車に荷物を詰めて、父が運転席に、そして、 後部座席に私と母が座り、2歳上の姉が、熊のぬいぐるみを抱えて助手席に座りました。さあ出発しようかというときになって、車の中で姉が嘔吐したので、父が、母に向かって、「暑いのに、こんな人形を子供に持たせるからだ!」と怒ったことまで思い出しました。 目的地は、父の出身である千葉の外房で、途中、海が一望できる高台に車を停めて父が一休みしているときに、母が撮ってくれた白黒の写真があります。まだヨチヨチ歩きだった私を、父が抱きかかえている写真で、そのときの体験が蘇ってきました。 父は、私にも海を見せてくれたのですが、それよりも、私は、父に抱っこされてとても満足でした。自分が愛されて大切に守られているという微塵の疑いもない実感、この揺るぎない安堵感。私は、自分が、お父さんっ子だったと思い出すことができました。 そして、私の子供心は、ずーっと長い間、あのときの安堵感を求めて奮闘してきたのだということに気がついたのです。時が経ち、成長して、もう父親に抱っこしてもらえなくなってからも、あの揺るぎない安堵感を感じたくて、親に感情をぶつけては、「甘えさせてよ!」「もっと大事にしてよ!」というのを演っていました。でも、大きくなるにつれて、「もう小学校へ上がるんだから、自分でやりなさい」と、幼児のときのような世話をやいてもらえなくなってきて、いつ

© 2017 by Saemi Nakamura